2023年5月13日更新

車で行く国宝金峯山寺蔵王堂と脳天大神、如意輪寺

オフシーズンなら吉野山へは車で入山することができます。

前回は吉野山奥千本の観光スポットとして金峯神社から吉野水分神社までをご紹介しました。

この記事では夏のオフシーズンに訪れた国宝金峯山寺蔵王堂と脳天神社、如意輪寺のコースをご案内します。

脳天大神へ参拝、長い階段を往復する修行

吉野水分神社から一気に金峯山寺蔵王堂まで車で降りてきました。

金峯山寺蔵王堂から「南朝妙法殿」と「脳天神社」方面へ行く階段下の駐車場に駐車し、脳天神社へ歩いて行きます。

脳天大神までは、参道沿いにある聖仏舎利宝殿を通りすぎ、長い階段450段を約10分〜15分ほどかけて下っていきます。

脳天大神は頭を割られた蛇が祀られており、首から上の守り神とされ、学力向上・頭病平癒・入試合格など霊験あらたかな寺院です。

「脳天さん」として親しまれる脳天大神をあとに、再び階段を上り修行の続きとなりました(汗)。

国宝金峯山寺蔵王堂は吉野・大峯の中心的寺院

金峯山寺蔵王堂

脳天さんから汗だくで金峯山寺蔵王堂へと歩いてきました。

国宝金峯山寺蔵王堂は、創立年代は不詳とされていて、7世紀に修験道の開祖役行者によって創建されたと伝えられています。

現在の建物は天正20(1592年)に再建され、高さ33.9mの木造建築で修験道の中心的な寺院とされてきました。

堂内の柱は全部で68本あり、全て自然の木を素材のまま使用しているため同じ太さのものはなく、杉や檜、けやきなど材質も様々で、なかには梨やツツジの柱も使われています。

修験道の本尊である金剛蔵王権現の巨像三体などが安置されていますが、秘伝のため普段は見ることができません。

本堂では御朱印もいただけます。

四本桜と青銅灯篭

四本桜と銅灯篭

蔵王堂正面の囲いの中には、四本の桜が植えられています。

元弘三年(1333年)北条幕府の大軍に攻められた後醍醐天皇の第二皇子「大塔宮護良親王」が、吉野山に立てこも理の際この場所を本陣として最後の宴を開いたところで、大塔宮御陣地とされている場所です。

柵の中にある青銅灯篭は、室町時代の秀作といわれ重要文化財に指定されています。

如意輪寺と後醍醐天皇陵

如意輪寺

金峯山寺蔵王堂から車で如意輪寺まで約20分ほどで到着しました。

奈良県吉野山中腹に位置する如意輪寺は、金峯山寺蔵王堂からも徒歩30分ほどで行くことができます。

楠正行公の一族郎党143人が、四條畷の決戦に向かう時、如意輪寺本堂の扉に鏃(やじり)で辞世の句を残したことは有名です。

かへらじとかねておもへば梓弓 なきかずにいる名をぞとゞむる

楠正行辞世の句

その扉は宝物殿で拝観することができます。

後醍醐天皇陵

足利氏との争いのため京都を逃れた後醍醐天皇は、吉野の行宮にて過ごされました。

都に思いを馳せ崩御された後醍醐天皇は、天皇陵唯一といわれる「北面の御陵」となる後醍醐天皇陵(塔尾陵)に葬られました。

吉野から京都は北にあたり、如意輪寺御堂の裏林の奥に後醍醐天皇陵はあります。