2023年7月20日更新

馬越峠と尾鷲市内を歩く

苔むした石畳の美しさは、熊野古道の中でもトップクラス馬越峠は、江戸時代に造られたとされる峠道で、なかでも峠までの約2キロの坂道は、昔のままの石畳が現存しています。

国道42号線の鷲毛バス停前が馬越峠の登り口となっています。

この記事では、「石畳の美しさ」「馬越峠を歩いてみた」「尾鷲市内観光」についてまとめています。

馬越峠は、道の駅に車を駐車して熊野古道を歩き、尾鷲市内からバスで駐車場まで戻ってくるコースをご紹介しています。

馬越峠の石畳はトップクラスの美しさ

熊野古道の石畳

熊野古道の魅力のひとつに、石畳の美しさがあります。

特に尾鷲は日本一の多雨地帯であり、大雨から道を守るために石畳が作られました。江戸中期の文献には、すでに記述があり、平安時代後期から段階的に石畳は作られてきたといわれています。

馬越峠に限っていえば、石は山にある花崗岩を使い、道幅は、紀州藩の駕籠に合わせて一間半(約2.7m)を基準としてつくられたといわれています。

また、石の表面がところどころ白くなっているのは、材木を曳き下ろす際に苔が削りとられたものです。

石畳の作り方として

  1. 峠道に60cmほどの溝を掘る
  2. そこへ石を2,3枚重ねて一番上に平らな石を敷く

溝を掘っている途中に1畳ほどの大きな石がでてきたら、動かさないでそのまま石畳として使ったようです。

石畳がみられる熊野古道は、馬越峠の他に

  • 松本峠(松本峠から鬼ヶ城へと抜けるルートを歩く)
  • かつての「伊勢の国」と「紀伊の国」の国境だった峠、ツヅラト峠
  • 西国第一の難所といわれる八鬼山(やきやま)越え
  • 伊勢路の石畳では最も古い鎌倉時代の道、波田須(はだす)の道
  • 風伝峠(熊野市から御浜町)
  • とろとろ坂(御浜町)

などがあります。

馬越峠コースを歩いてみた

馬越峠コース

道の駅海山‥馬越峠登り口‥夜泣き地蔵‥馬越一里塚‥馬越峠‥桜地蔵‥馬越公園‥尾鷲市内‥尾鷲神社‥県庁舎前バス停―鷲毛バス停‥海の駅海山(所要時間約4時間)

熊野古道については、いろいろな歩き方(逆ルートやショートカットルートなど)があるので、参考程度に読んでいただけるとありがたいです。

車を「道の駅海山」に駐車して少し歩いて鷲毛バス停前登り口から熊野古道へ。
馬越峠登り口です。

最初の石畳はいきなり急な上り坂で、大変きつく感じました。登るにつれ石畳の石はだんだんと大きくなっていきます。

上り坂から約600メートル地点に小さな祠があります。「夜泣き地蔵」と呼ばれており、旅の安全を祈願するために建立され、子供の夜泣きが治るとのご利益があるといわれています。

峠を前に旅人がここでほっと一息ついた場所かもしれません。

峠が近づくと、登り坂は緩やかになり、石畳もまばらになってきます。

雨水によって、道が崩壊する心配がないからだと言われています。

峠からは尾鷲市街地が見えます。

峠からまっすぐ下れば、尾鷲市街地へ。左手には尾鷲の町を一望することができる天狗山への登山コースが整備されています。
地元小学生の遠足コースと言われていますが、ずっと急な登り坂が続くので、体力と時間に余裕がある方は行ってみてはいかがでしょうか。

道の脇を清水が流れ、石畳の苔が濃くなってきました。レンガの祠に祭られた桜地蔵をすぎると、馬越公園に到着します。5月はこのあたり、つつじがきれいでした。水飲み場やトイレもここにあります。

尾鷲市内へ下る石畳の道は、今から200年ほど前に年間2万3000人もの巡礼者が通ったという記録も残っています。

脇の鳥居をくぐり、馬越不動へと進むと、不動明王などを祭る祠が3つあります。ここから集落を抜けて尾鷲神社へと向かいます。

尾鷲市内観光

尾鷲神社

尾鷲市内まで下山し、尾鷲神社で参拝をしました。

スサノオノミコトを祀る神社で、早春に行われる奇祭ヤーヤー祭で有名な神社です。

境内には幹回り10メートルと9メートルの夫婦楠があり、樹齢は千年以上と言われています。

土井竹林

少しわかりにくい場所にあるのが、土井竹林です。尾鷲市国道42号線沿いにあるパチンコ屋さんの駐車場隅にあります。

土井家が、江戸時代に薩摩から孟宗竹など数千本を移植したといわれる竹林です。中には電柱ほどの太いものもあり、テレビドラマのロケも行われたことがあります。

土井竹林

京都嵯峨野にある「竹林の道」を想像して行くとかなりコンパクトな竹林ですが、夏は、涼を感じることができます。

その後、路線バスに乗り、鷲毛バス停で下車、歩いて「道の駅海山」に戻るという「馬越峠と尾鷲市内を歩くコース」のご案内でした。