2023年6月18日更新

橋杭岩から紀伊大島「海難1890」の舞台へ

橋杭岩

橋杭岩は全体として眺める景色はもちろんのこと、それぞれの岩島には名称があり見る人を楽しませてくれます。

橋杭岩からは紀伊大島を望むことができ、紀伊大島は映画「海難1890」の舞台となりました。

オスマン帝国(現在のトルコ)の親善使節団を乗せた軍艦エルトゥールル号が紀伊大島付近で座礁し、紀伊大島の樫野村の村民が総出で台風の中救助にあたったと言われ、史実をもとに映画化されました。

この海での紀伊大島樫野村民の海難救助をきっかけに、トルコ政府は1985年のイランイラク戦争でテヘランに取り残された日本人を、救援機で救助するという出来事がありました。

この記事では、橋杭岩と紀伊大島で起きた海難事故や、展示されていた映画のセットについて写真を交えて紹介しています。

橋杭岩とは

橋杭岩は和歌山県東牟婁郡串本町にあって、紀伊大島に向かって約850m、海中ほぼ一直線に並ぶ25の岩島です。

まわりの泥岩に比べて硬いことから、侵食されても残った岩島と言われています。

その岩島は、紀伊大島に向かって橋脚のように並ぶことから橋杭岩と呼ばれています。

駐車場すぐ横にある道の駅2階の展望台からも橋杭岩を雄大に見ることができます。

橋杭岩のドライブイン

海中に並ぶ25の岩島

橋杭岩
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♪ここは串本~向いはおおしまぁ~仲を取り持つぅじゅんこうせぇん~アラヨイショ~ヨイショヨイショ

有名な串本節の一節で、橋杭岩の奥に見える横長の島が大島です。

橋杭岩にはひとつひとつに名前があります。代表的な岩をみていきましょう。

画像中央左からとんがり岩の「蛙子島」、台形の形をした「平岩」、3本の矢みたいな岩が「ハサミ岩」、「ポオス岩」と続きます。

次に「大オガミ岩」「小オガミ岩」と続き、それぞれが拝んでいるように見えます。「小オガミ岩」にいたっては、マリア様にも見えると言われています。(下の画像も参照)

その隣には「ピシャコ岩」「童子島」一番大きな「弁天岩」と続きます。干潮時には、弁天岩まで歩いて行くことができます。

橋杭岩
トンガリ岩の「蛙子島」台形の形をした「平岩」
3本の矢みたいな岩が「ハサミ岩」一番右端が「ポオス岩」
左から「大オガミ岩」「小オガミ岩」と続き

左から「大オガミ岩」と「小オガミ岩」、比較的大きな「ピシャコ岩」「童子島」「弁天岩」と続きます。

橋杭岩
左から「大オガミ岩」「小オガミ岩」と続き
「ピシャコ岩」「童子島」一番大きな「弁天岩」

写真一番右端には、本州から紀伊大島を結ぶ橋が見えます。

映画「海難1890」の舞台、紀伊大島にて

大島から橋杭岩

紀伊大島側に渡ってすぐの展望台からは遠く橋杭岩を眺めることができます。

紀伊大島と言えば、500名以上の死者を出した1890年のエルトゥールル号海難事件があります。

座礁現場は紀伊半島の、この付近の海域で起こりました。

エルトゥールル号海難事故

生存者はわずか69名、当時としては最大規模の海難事故で、村民は不眠不休の救助を行ったと言われています。

海難1890樫野村セット

2015年、日本とトルコは友好125周年を迎え、実話をもとに制作された合作映画「海南1890」でこの海難事故が描かれており、2016年紀伊大島では樫野村のセットが展示されていました。

海難1890樫野村セット
海難1890樫野村セット
海難1890樫野村セット
海難1890樫野村セット
ムスタファ・ケマル・アタテュルク騎馬像

樫野埼灯台へ行く途中には、ムスタファ・ケマル・アタテュルク騎馬像があります。駐日トルコ共和国大使館より串本町に寄贈されました。

トルコの初代大統領で、建国の父と言われています。

太平洋

紀伊大島から太平洋を望む景色です。

日本とトルコの友好関係はこれからも語り継がれることでしょう。

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